『Silent』から『嘘が嘘で嘘は嘘だ』へ──生方美久が描き続ける“伝わらない想い”

サスペンス・ミステリー

『Silent』で“音のない世界”に潜む愛情やすれ違いを描き、多くの視聴者の心を掴んだ脚本家・生方美久。

言葉を発することができない、あるいは届かないという制約の中で、それでも人は誰かを想い続ける――その静かな切実さは、ドラマという枠を超えて共感を集めました。

続く『いちばんすきな花』では、友情と恋愛の境界線をなぞりながら、「好き」という感情が必ずしも一つの形に収まらないことを丁寧に描きます。そこにあったのは、言葉にしようとすればするほど輪郭が曖昧になってしまう感情と、それでも誰かと関係を結ばずにはいられない人間の弱さでした。

そして最新作『嘘が嘘で嘘は嘘だ』。本作で生方美久が真正面から扱うのは、「嘘」という極めて日常的でありながら、扱い方を誤れば人間関係を簡単に壊してしまう言葉です。

しかし、このドラマが描く“嘘”は、単なる悪意や裏切りではありません。つく側、信じる側、そのどちらにも揺れ動く感情があり、そこには恐れや保身だけでなく、不器用な優しさや愛情すら混じっています。

3作品を通して浮かび上がるのは、「本当の気持ちは、いつも言葉にできるとは限らない」という、生方美久ならではの一貫した視点です。

本記事では『嘘が嘘で嘘は嘘だ』を中心に、生方美久が描き続けてきた“伝わらない想い”の核心に、もう一歩踏み込んで迫ります。

この記事を読むとわかること

  • 『嘘が嘘で嘘は嘘だ』に込められた“嘘”の多面性と人間関係の描写
  • 生方美久脚本に共通する「言葉にできない想い」の描き方
  • 新潟という舞台が持つ象徴的な意味と物語への効果

『嘘が嘘で嘘は嘘だ』が描く“嘘”のリアル

人はなぜ嘘をつくのか。

それは自分を守るためか、相手を傷つけたくないからか、あるいは関係を壊さないための選択なのか。

『嘘が嘘で嘘は嘘だ』は、その問いに対して明確な答えを用意しません。代わりに、嘘が生まれる瞬間の“感情の揺らぎ”を、極めて静かな筆致で描いていきます。

この作品における嘘は、決して劇的な告白や裏切りとして演出されるばかりではありません。むしろ、日常会話の中に紛れ込む小さな違和感として現れます。だからこそ、登場人物が口にする一つひとつの台詞には、本音と建前、強さと弱さが入り混じっているのです。

視聴者は、その言葉をそのまま受け取ることができません。「この人は、なぜ今こう言ったのか」「何を隠しているのか」と考え続けるうちに、いつの間にか自分自身の過去の嘘や、本音を飲み込んだ経験と重ね合わせてしまう。

その結果、まるで自分が嘘をついてしまったかのような罪悪感すら感じてしまう――ここに、このドラマの鋭さがあります。

この“観る側も試される構造”は、生方美久作品に一貫して見られる特徴です。登場人物同士の会話や行動のズレを通して、人間関係の繊細な機微や誤解、すれ違いを描きます。

『Silent』では「声にならない想い」、『いちばんすきな花』では「言葉にならない感情」、そして本作では「嘘」という言葉が持つ二面性を、より身近な現実として浮かび上がらせているのです。

舞台はなぜ新潟?静けさが際立たせる“言葉のズレ”

『嘘が嘘で嘘は嘘だ』の物語は、新潟という地方都市を舞台に展開します。

なぜ東京でも大阪でもなく、新潟なのでしょうか。

この舞台設定には、物語のテーマである“嘘”や“伝わらない想い”を際立たせる、繊細な意味が込められているように感じます。

新潟という土地は、都会と田舎のちょうど中間のような位置にあります。

都会の匿名性もなければ、田舎特有の閉鎖性もない。

だからこそ、人間関係の“距離”が絶妙に近すぎず、遠すぎないのです。

この距離感は、登場人物たちが“嘘をつきながらも、関係を断ち切れない”という状況にリアリティを与えます。嘘をついても、翌日にはまた顔を合わせなければならない。嘘が「終わったこと」にならない――その環境が、新潟という舞台によって巧みに描かれているのです。

さらに、新潟のもう一つの象徴が“雪”と“静けさ”です。

雪に包まれた街の静寂は、まるで感情を飲み込むように、言葉を消してしまうかのような空気を漂わせます。音が吸い込まれる世界では、言葉の端々や沈黙の“間”が、より強く胸に残る。ここでも生方作品らしい“余白”が効いています。

『Silent』『いちばんすきな花』との共通点

『嘘が嘘で嘘は嘘だ』は、脚本家・生方美久がこれまでに手がけてきた『Silent』『いちばんすきな花』と、物語の構造やテーマにおいて深い共通点があります。

それは単なるラブストーリーやヒューマンドラマではなく、“言葉にならない感情”を丁寧にすくい上げる作品群であるという点です。

『Silent』では、「声」が聞こえないという物理的な制限がありながら、手話や目線、沈黙の間を通じて想いが伝わっていく過程が描かれました。

『いちばんすきな花』では、恋愛でも友情でもない、第三の関係性を模索する中で、社会や周囲の価値観と自分の感覚の“ズレ”に苦しむ姿が描かれました。

そして『嘘が嘘で嘘は嘘だ』では、「嘘」という明確な言葉をテーマに置きながらも、そこに含まれる意図や感情は極めて曖昧です。言葉があるからこそ誤解が生まれ、言葉があるからこそ本音が隠れてしまう――この皮肉が、物語をより現実的なものにしています。

言葉はいつも真実を伝えられるとは限らない

「言葉にすれば伝わる」というのは、私たちが無意識に信じている常識のようなものです。

しかし、生方美久の脚本は、その前提に静かに疑問を投げかけます。

「嘘」とは、事実ではないことを話す行為ですが、その嘘に“真実の気持ち”が宿っていることもあります。

そうした言葉と感情のズレが、この作品の核となっています。正直な言葉が相手を傷つけることがあり、嘘が関係を守ってしまうこともある。だからこそ、単純に「嘘は悪い」と断じきれない揺らぎが、登場人物の心を縛り続けます。

また、会話の“間”や視線、表情といった非言語的な要素にも多くの意味が込められています。言葉が届かないからこそ、沈黙の中に本音が浮かび上がるという演出は、生方作品の重要な特徴です。

『Silent』から『嘘が嘘で嘘は嘘だ』へ──生方美久が描く“伝わらない想い”の進化

『Silent』から始まった生方美久の“伝わらない想い”の探求は、『嘘が嘘で嘘は嘘だ』において、より現実的で、より私たちの生活に近い形へと進化しているように感じます。

声がない。言葉にできない。言葉が嘘になる。

表現の形は違っても、描かれているのはいつも「誰かを大切に思うほど、うまく伝えられなくなる心」です。言葉があるのに届かない――そのもどかしさこそが、生方美久の描くドラマの本質であり、私たちが共感し、時に涙する理由なのかもしれません。

そして本作が投げかける問いは、観終えたあとも静かに残ります。

嘘をついてしまうほど、大切にしたい関係がある。
本音を飲み込んでしまうほど、壊したくない日常がある。

このドラマを観終えたとき、私たちはきっと、自分がこれまでについた嘘や、言えなかった本音を思い出します。“伝わらない想い”は特別な誰かの物語ではなく、私たちの日常にも確かにある――そう気づかせてくれる余韻こそが、『嘘が嘘で嘘は嘘だ』のいちばんのリアルなのだと思います。

この記事のまとめ

  • 生方美久が描く“伝わらない想い”の系譜
  • 『Silent』『いちばんすきな花』から連なる言葉のズレの表現
  • 『嘘が嘘で嘘は嘘だ』が映す、嘘の多層的なリアリティ
  • 新潟という舞台がもたらす静けさと人間関係の距離感
  • 嘘=悪ではないという揺らぎを含んだテーマ
  • 沈黙や間に込められた感情の余白
  • 日常に潜む嘘と本音への静かな問い
  • “伝わらない想い”は私たちの側にもある、という読後の余韻

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