明治初期という“崩壊の時代”──『イクサガミ』が描く転換期と現代の共鳴

アクション・バトル

明治初期という時代は、日本史の中でも特に大きな断絶を経験した転換期です。
武士という身分が制度として消滅し、価値観や秩序が再編されていく“崩壊と再構築”の時代。

『イクサガミ』の時代設定はなぜ明治初期なのでしょうか。
単に歴史的に劇的な時代だからではなく、物語構造そのものと深く結びついた理由があります。

今村翔吾による原作小説『イクサガミ』がこの時代を舞台に選んだことは、単なる歴史的背景の設定ではありません。
物語の構造そのものと深く結びついた、必然的な選択だったと考えられます。

そして現在、Netflixによる実写化によってその舞台設定が改めて注目を集めています。
さらに興味深いのは、現在放送中のNHK朝ドラもまた明治初期を描いているという事実です。

これは偶然の一致なのでしょうか。
それとも、いま私たちが「転換期の物語」に惹かれていることの表れなのでしょうか。

本記事では、明治初期という舞台設定が持つ意味を、原作の構造と現代との関係から読み解いていきます。

この記事を読むとわかること

  • 明治初期が「崩壊と再構築」の時代と言われる理由
  • 『イクサガミ』が明治初期を選んだ“構造的な必然”
  • なぜ今、転換期の物語が響きやすいのかという視点

1. 明治初期とはどんな時代だったのか

明治初期は、単なる「新しい時代の始まり」ではありません。
それまで数百年続いた武家社会の制度が解体され、身分秩序が崩れ、社会の価値基準そのものが揺らいだ時代です。

廃藩置県、徴兵令、秩禄処分――。
これらの改革は国家としては近代化への一歩でしたが、同時に、武士という存在の社会的基盤を奪う出来事でもありました。

帯刀禁止令によって刀は身分の象徴ではなくなり、俸禄を失った元武士たちは職を探して町へ流れました。
「生き方そのもの」を変えざるを得ない状況が、社会全体に広がっていたのです。

刀は象徴から無用の長物へ。
「武士であること」がそのまま生きる理由になった時代は、終わりを迎えます。

制度が崩れ、誇りが行き場を失う時代――それが明治初期でした。

2. 『イクサガミ』における明治初期の意味

『イクサガミ』の主人公・嵯峨愁二郎は、元・人斬りの侍です。
彼の強さは旧時代においては価値でしたが、明治という新しい秩序の中では居場所を持てません。

ここで重要なのは、物語の中核にある「蠱毒(こどく)」という装置です。
参加者が次第に減っていく淘汰構造は、単なるデスゲームの仕掛けではありません。

それは、明治という時代そのものの縮図でもあります。

旧秩序に適応できない者は消えていく。新しい時代に適応できる者だけが残る。

この構造を描くためには、「時代の崩壊」が前提である必要があったのです。

もし舞台が安定した時代であれば、この物語の緊張感は成立しません。
明治初期だからこそ、登場人物たちの葛藤が現実味を持つ。

つまり明治という舞台は、単なる背景ではなく、物語構造を支える土台になっています。

3. なぜ今、明治初期が再び選ばれているのか

興味深いのは、『イクサガミ』だけでなく、現在放送中のNHK朝ドラもまた明治初期を舞台にしているという点です。

もちろん、制作の背景や企画意図はそれぞれ異なるでしょう。
単純に歴史的にドラマ性の高い時代だから、という理由も考えられます。

しかし、偶然とは言い切れない共通点もあります。

明治初期は、旧来の価値観が崩れ、新しい秩序が模索される時代でした。
身分制度の解体、働き方の変化、国家の再設計――。

それはどこか、現代の私たちが置かれている状況とも重なります。

終身雇用の揺らぎ、副業解禁、AIによる職業構造の変化――。
私たちもまた、「これまでの前提」が崩れつつある時代を生きています。

だからこそ、転換期を生きる人々の物語が、いま響きやすいのではないでしょうか。

明治初期は、ただの歴史的舞台ではなく、「崩壊と再構築」を体現する象徴的な時代です。

そしてその象徴性が、現在の空気とどこかで共鳴している可能性は十分にあります。

『イクサガミ』が描くのは、刀を握る男たちの物語でありながら、
本質的には「時代が変わるとき、人はどう生きるのか」という問いです。

その問いがいま改めて注目されているとすれば、
明治初期という舞台は偶然ではなく、時代的な必然を帯びているのかもしれません。

4. 明治という舞台が持つ“構造的な必然”

『イクサガミ』における明治初期は、単なる歴史的背景ではありません。
武士という存在が制度的に解体される時代であるからこそ、主人公・嵯峨愁二郎の葛藤は成立します。

「過去の誇りが通用しなくなる」状況は、物語に強い緊張感を生みます。
そして、参加者が減っていく蠱毒という構造は、時代の淘汰と重なります。

つまり明治初期は、物語を動かすための舞台装置ではなく、
物語そのものを成立させる構造的な基盤なのです。

物語の構造やシーズン制との関係まで踏み込んで読み解いた記事はこちらです。

▶ 『イクサガミ』はなぜNetflixで実写化されたのか?──配信時代の時代劇を考察

この記事のまとめ

  • 明治初期は武家社会の崩壊と近代化が進む“転換期”の時代
  • 『イクサガミ』の物語構造は、明治という舞台と密接に結びついている
  • 蠱毒の淘汰構造は、時代の再編と重なる象徴的な装置である
  • 現在の社会もまた転換期にあり、明治初期の物語が共鳴しやすい可能性がある
  • 明治という舞台は偶然ではなく、構造的な必然を帯びている

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